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ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

社会人になったばかりの長男と、二十歳を迎えた次男へ

しあわせについて考えてみる(2)

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』に書かれていた、スラム街で暮らす子供の話。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

ゴミの集積場で金属やペットボトルを集めて売って、やっと家族が一日食べるだけのお金になる。

貧困だけれど、彼(または彼女)は、きっと家族そろって夕飯を食べている。

学校へも行けない。
ゴミ集積場は病原菌や危険な物質でいっぱいだろう。

住んでいるところも決して衛生的だとは言えず、平均寿命もすごく短いに違いない。

でも、彼(または彼女)は、きっと毎日家族そろって夕飯を食べている。


翻って私の周囲を見れば、共働きや単身赴任で家族は離ればなれだ。

冷蔵庫に用意してあるおかずを電子レンジで温めて一人で夕飯を食べる子どもも、わりと沢山いるんじゃないかと想像する。

テレビやゲームがあるから寂しさはごまかせるだろう。

環境は衛生的だし、万一急病になったり怪我をしてもすぐに救急車が来てくれる。

スラムに生まれる子どもたちに比べたらずいぶん長生きもするだろう。

でも、彼(または彼女)はいつも一人で夕飯を食べている。


どっちが幸せなのだろう。

もちろん、家族で一緒に夕飯を食べることが幸福の唯一の指標ではない。

誰もが「今日を生き延びるために」あるいは「夢を実現するために」必死で働いている。

しかし、子どもはすぐ成長してしまう。
一緒にいられる時間はとても短い。


とても極端な喩えになってしまうが、

生まれ落ちて以来満腹になったことがなく、親は真面目に働こうにも職が無くて、いつも家庭は貧乏で学校にも通えず、子どもながらに働いて幾ばくかの金を得、それでやっと食べていけるだけの生活でも、毎日家族そろって、今日は誰それに親切にしてもらったとか、友達や兄弟とけんかしたとか、夕日がきれいだったとか、そんなことを家族と話しながら夕飯を食べていた子どもがいたとして。

その子どもが、何かの理由で急にこの世を後にしなければならなくなったとしたら。

彼(または彼女)の一生は、不幸だったのだろうか。

生きていくのは楽ではなかったろうし辛かっただろう。

だが、不幸だったのだろうか。


私は思うのだ。
「不満足な幸福」というのもあり得るし、
「快適な不幸」というのもあるだろうと。

幸福とは、
旅の目的地のことではなく、
旅のしかたのことである。
(マーガレット・リー・ランベック)