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ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

社会人になったばかりの長男と、二十歳を迎えた次男へ

しあわせについて考えてみる(1)

しあわせ=幸福について思うとき、いつも、マーク・トゥエインの『不思議な少年』が、まず頭に浮かんでくる。

不思議な少年 (岩波文庫)

この物語の最後の方で主人公が、不幸な目にばかり遭っている老人を
「せめて余生は幸福にしてやってほしい」
と、超能力を持った少年に頼む。

するとその少年(自称天使)は
「わかった」
と、老人が老人自身を王様だと思い込むようにしてしまう。

老人にとって、その瞬間から周囲の人間はみな下僕になった。
つまり老人は気がふれたのだ。

「なんてことを!」
と抗議する主人公に、不思議な少年
「何を言ってるんだ。老人は確かに自分を幸福だと感じているではないか」
と反論する。


この老人は幸福なのだろうか。

幸福でないとしたら、本当の幸福とは何なのだろうか。

 

もうひとつ、最近読んだ本『マンガ 禅の思想』からのエピソードを紹介する。

新装版 マンガ 禅の思想 (講談社の実用BOOK)

ある男が荒野で虎に襲われ、切り立った崖から下がった蔓に飛びつきよじ登って難を逃れようとした。

しかし崖の上の方では、ネズミがその蔓をかじっており蔓が切れるのも時間の問題。

虎は下で牙をむきウォーッと吼えている。

そのときふと男は目の前にみごとに実った野イチゴを見つけた。

男は手を伸ばしそれを口に入れ
「美味しいなあ」
と。


この男は、野イチゴを食べたとき確かに幸福だったのだと思う。

しかしやがて蔓は切れ、男は虎に食べられてしまうかも知れない。

もちろんこれは私たちの人生の寓意で、誰もみな一寸先は闇だし、いずれ確実に死が待っているということだ。

そんな状況で、たかだか食べ物が美味しかったくらいで幸福だと言っていいのだろうか。


「そう。それでいいのだ。それが幸福というものなのだ」
と言いたい自分がいる。

が、そういう幸福感と冒頭の老人の幸福感とは本質的に何か違いがあるのだろうか。

それとも同じなのだろうか。

幸福が人の脳内の状態のことだけを指すのではないとしたら、
その他の条件とはいったい何なのだろうか。