ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

人生の荒波に乗り出した息子たちへ

世のため人のため

昨日の続き。

よく考えてみたら、人をやる気にさせるのに「世のため人のため」という理由づけが有効な場合があることに気づいた。

自分の成長がなくても「世のため人のため」だと思えば頑張れる、というのは、確かにある。だがしかし、報酬がなくても、達成感がなくても、「世のため人のため」だから「頑張らなくてはならない」というのは間違っている。

特に上の方がそういう言い方で指示や命令をしてくるときは気をつけねばならない。成果が上がらなくても「世のため人のため」だから頑張れ、などと言い出したらもう末期的だ。

 

「売り手よし・買い手よし・世間よし」というビジネスの諺がある。「Win-Win」の関係を社会にまで拡げようという理念だ。商売をやってる人はこの諺をきちんと胸に刻むべき、と父さんは強く思うのだけど、しかしこの「世間よし」の部分だけ突出するのもまた問題だということを覚えておいてほしい。

世の中を良くするために家族を犠牲にして頑張った、というような美談は、百年前ならともかく、今は流行らない。情報の拡散速度も速くなったし、人々の独立性も高まっているからだ。

 

とはいえ、「世のため人のため」と考えたとき自分が「熱く」なれるのなら、それはそれで素晴らしいことだ。自分ではない誰かのために、見も知らぬ誰かの幸福を祈りながら、日々の仕事に勤しむことができるなら、それはおまえにとっての幸福でもあるはずだ。

自分のことだけ考えていると不安が増す。いまやっている仕事の対象となっている「誰か」を想像し、そこに意識を移すと不思議と不安が解消するということもある。

もちろん、自分のやってることが本当に「世のため人のため」かどうかは常に疑い続けないといけないし、それを判断するだけの見識を身につけるべく努力しなければならないのも当然だけどな。