ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

人生の荒波に乗り出した息子たちへ

いいかおまえら(1)

「人生とは何か」とか「生きる意味」とか、ややこしいことはひとまず置いといてだな。生きるためにはとりあえず食わねばならん。食うためには、稼がねばならん。

稼ぐには、大きく分けて二とおりの方法がある。ひとつは「人に雇われること」で、もうひとつが「人を雇うこと」だ。
べつに法律的なことを言ってるんじゃくて、具体的には、「仕事の手順に従う側」と「仕事の手順を決める側」の別ってことだ。

これはどっちがいいとか悪いとかそういう問題ではない。

人に雇われた場合、給料が少なかったら雇った人に文句を言えばいいが、でも、「じゃあ仕事を減らすね」などと言われかねないリスクがある。
人を雇った場合は自分の給料を自分で決められるが、従業員にも充分な給料を保障しないといけない。

雇われている人は仕事に生き甲斐を求めなくても他で探すことができるが、雇っている人は、自分の行っている事業を生き甲斐にしないと、そもそも自分自身が保てない。

雇われる側になればのたれ死にすることはあんまりないが、雇っている側はけっこう浮き沈みが激しい。

まあそんな違いがある。

 

で、おまえらは、どっちになりたいかいずれ自分で決めないといかん。
どっちでもいいが、注意しないといけないことがいくつかある。

まず、雇われる側になるなら、当然ながら誰に雇われるかがすごく重要だ。できたら、優しいけど甘えを許さない人か、厳しいけど情に厚い人を選べ。
それに、人には「合う・合わない」がある。「自分が悪い」と思い込むな。逃げることを恥だと思うな。
仕事より家族を大事にすることを恥ずかしいと思うな。
命令されても、自分の信義に照らして筋の通らないことはするな。
雇われることは、奴隷になることではない。

だが、雇われた場合、仕事が生き甲斐にならないこともある。それを悲嘆しても始まらない。せめて仕事を好きになれ。そして生き甲斐は他で見つけろ。生き甲斐のない人生は寂しいぞ。
ついでに断っておくが、ギャンブルと女の話は父さんの前ではするな。たとえそれがおまえの生き甲斐でも。

さて、次に、雇う側になるなら、事業の目的を「金儲け」にするな。
「社会をよくすること」あるいは「誰かに感動を与えること」以外に仕事の目的はあり得ない。お金が儲かったとすれば、それは多くの人が事業を応援してくれているということだ。

そして、事業を手伝ってもらうために雇った人々の生活に常に気を配れ。その人達の給与を配った残りがおまえの取り分であることを忘れるな。
組織を維持し延命するために当初の目的をおろそかにしてはならない。事業をたたむことを恐れるな。ものには必ず終わりがある。
事業のために働いてくれた人たちは、また誰かに雇われていく。だけどおまえだけは、もう誰も雇ってくれないだろうからまた何か始めないといけない。

さあ、どっちを選ぶ?
どっちを選んでも幸せになれる可能性は同じだ。
従業員も経営者も、単なる肩書きだ。この世の中での「役割」に過ぎない。
どっちを選ぼうが父さんはべつに構わない。
どっちを選んでも、おまえらがおまえら自身であることに変わりはないのだから。