ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

人生の荒波に乗り出した息子たちへ

働くことについて考えてみる(2)

ヒトは類人猿の一種である。分類学的にはサル目ヒト科ヒト属に属する。
で、ゴリラやチンパンジーと同じく群れで暮らす種族である。
個別で生きるより社会生活を営むことで、多くの子孫を残せるようなシステムを進化の過程で選んだのだと思う。
好むと好まざるとにかかわらず、人は社会と関わりを持たずに生活することはできない。
「誰の世話にもならん!」というのはどだい無理な話なのだ。

人間は『パンツをはいたサル』だと言った人が昔いたが、まさにそのパンツさえ、さらにその素材となる布や糸さえ、植物から自分の手で作り出すことはもはやできない。

 前回、「人間の生活というのは、基本的に自然から何かをもらってそれを食べたり生活に使ったりしてその滓を自然に戻すということの繰り返しだ」と書いた。 

それは、孤独なサバイバルに挑む兵士だけでなく、人数が複数になっても原則は同じではないかということが今回は言いたいのである。

たとえばネアンデルタール人の家族を想像してほしい。
山里にひっそりと佇む江戸時代の小さな村を想像してほしい。

 そしてその「社会」が大きくなると、「原則」は変わらないが、「分業」すなわち役割分担が始まる。
家を建てるのが得意なヤツは家を建てることを「専業」にする。
食べ物や生活必需品(=貨幣)はその「お礼」として手に入るようになる。

 あるいはまた、集団と集団の間における物資の流通を役割として担う者も出てくる。
組織をまとめ動かすことに長けた人間はマネジメントをなりわいとするようになる。

 自然から得るものは、食べ物だけでなく鉄などの鉱物や木材や皮革、さらには様々な化学物質もある。
そこから工業が起こる。
「製品」が出回り、こんどはそれに「付加価値」がつくようになる。
貨幣経済の発達にともなって、金融が産業になる。

 社会の仕組みはどんどん複雑になり、人間社会と自然環境との接続部分を担う人々が今では少数派になってしまったが、人間は、人類全体としても、地球(自然)から何かを得てまた地球(自然)に何かを返すという、あの孤独な兵士と同じような日常を巨大な規模で繰り返している。

 私達それぞれが、いま「仕事」と呼んだり「働く」と言ったりしていることはすべてその大きな営みの一部だと言えるのだ。

 

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か