ビジネスマンではない父より息子への果てしない手紙

人生の荒波に乗り出した息子たちへ

『君たちはどう生きるか』

​ もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで言われた通りに行動し、教えられた通りに生きてゆこうとするならば、コぺル君、いいか?それじゃ君はいつまでもたっても一人前の人間じゃないんだ。子どものうちはそれでいい。しかしもう君の年になると、それだけじゃダメなんだ。
 肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして心の底から、『立派な人間になりたい』という気持ちを起こすことだ。
そうでないと君はただ『立派そうに見える人』になるばかりで、本当に『立派な人』にはなれないだろう。
 世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振舞っている人がずいぶんいる。そういう人は自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、きみにそんな人になってもらいたくないと思う。

【文庫 】君たちはどう生きるか (岩波文庫)

【文庫 】君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

 

借金についてのシンプルだけど大事な話

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のほほんと生きてきたので,人生に深みがない。
従って,わざわざ遺すような教訓も持ち合わせていない。

だが,何もエラそうなことを言わなくても,
自分と同じ轍を踏んでほしくないと思うようなことを
言い遺せばよいのだと最近気づいた。

それなら私にもある。

こればかりは声を大にして言いたい。

 

それは,

カードローンを安直に
リボ払いにするな
という一言に尽きる。

はまったら抜け出せなくなる。
リボ払いというのが,そもそも(初めから)そういう仕組みなのだ。

「できればしない方がいい」というレベルではない。

絶対に,
リボ払いは利用するな。

絶対にだ。

しあわせについて考えてみる(2)

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』に書かれていた、スラム街で暮らす子供の話。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

ゴミの集積場で金属やペットボトルを集めて売って、やっと家族が一日食べるだけのお金になる。

貧困だけれど、彼(または彼女)は、きっと家族そろって夕飯を食べている。

学校へも行けない。
ゴミ集積場は病原菌や危険な物質でいっぱいだろう。

住んでいるところも決して衛生的だとは言えず、平均寿命もすごく短いに違いない。

でも、彼(または彼女)は、きっと毎日家族そろって夕飯を食べている。


翻って私の周囲を見れば、共働きや単身赴任で家族は離ればなれだ。

冷蔵庫に用意してあるおかずを電子レンジで温めて一人で夕飯を食べる子どもも、わりと沢山いるんじゃないかと想像する。

テレビやゲームがあるから寂しさはごまかせるだろう。

環境は衛生的だし、万一急病になったり怪我をしてもすぐに救急車が来てくれる。

スラムに生まれる子どもたちに比べたらずいぶん長生きもするだろう。

でも、彼(または彼女)はいつも一人で夕飯を食べている。


どっちが幸せなのだろう。

もちろん、家族で一緒に夕飯を食べることが幸福の唯一の指標ではない。

誰もが「今日を生き延びるために」あるいは「夢を実現するために」必死で働いている。

しかし、子どもはすぐ成長してしまう。
一緒にいられる時間はとても短い。


とても極端な喩えになってしまうが、

生まれ落ちて以来満腹になったことがなく、親は真面目に働こうにも職が無くて、いつも家庭は貧乏で学校にも通えず、子どもながらに働いて幾ばくかの金を得、それでやっと食べていけるだけの生活でも、毎日家族そろって、今日は誰それに親切にしてもらったとか、友達や兄弟とけんかしたとか、夕日がきれいだったとか、そんなことを家族と話しながら夕飯を食べていた子どもがいたとして。

その子どもが、何かの理由で急にこの世を後にしなければならなくなったとしたら。

彼(または彼女)の一生は、不幸だったのだろうか。

生きていくのは楽ではなかったろうし辛かっただろう。

だが、不幸だったのだろうか。


私は思うのだ。
「不満足な幸福」というのもあり得るし、
「快適な不幸」というのもあるだろうと。

幸福とは、
旅の目的地のことではなく、
旅のしかたのことである。
(マーガレット・リー・ランベック)